記録
ふと思ったことを書いてみる。
今、海外のお友達に向けて自分の本を翻訳している。
本を開くのは久しぶりだった。
心がざわざわ、ドキドキする。
そこでの心の様子をみるに、私は、本を出した後からずっと「なんてことをしてしまったんだ」という気持ちがあったのではないかと思う。
自分の脳内を、気持ちを、しかもまだ言語化も価値観も能力も発展途上のものを、大衆に向けて出してしまったなんて。
しかも当時はドーパミンも出ていたのでその時のテンションで。
先に言っておくと、全体として後悔はしていない。またとないチャンスだったし、人生で一度は経験してみたかったことだから、あの時の自分の選択は間違っていない。出版社さんへの感謝もずっと持っている。もっとこうすれば、はたくさんあるものの、いい本ができたとも思っている。
でも、やっぱり心がざわつく。なんてことをしてしまったんだ私は!!
これを読んで、不快になった人がいるだろうとか、何書いてんの?と冷笑した人もいるだろうと思うと、心がざわつく。
気にしても仕方ないことはわかっているのだ。
わかっているから、言わない。言わないが、心のどこかでずっと怖がっている自分がいる。
なにかを描く人、書く人はみんなこの気持ちを抱えているんでしょうか。
「嫌われる勇気」(遅ればせながら今更読んでいる)で、「何かができない」というのは、実際にはできないのではなく、ある理由があって「しない」ことをみずから選んでいるのだ。
とあった。
できないのではなく、自分にとって何か嫌なことが起こることを避けるためにあえて「しない」ことを選んでいる。
これはまさに私にぴったりだなと思った。
自分が何かを描いて、それが評価されなかったり、変だなと思われたり、冷笑されたり、、そういう嫌な経験を避けるために私は今何も描かないということを選んでいるのだ。
これを書いている今も、「どの口が言っとんねん」と思うw
そういう諸々なことを気にしてる段階ではないのにね、、ふふ、、(私は優れた作家ではなく本当にただの普通の人間なんだからとりあえず描けよ、と、、)
私は自分は大したことないと心から理解しつつ、プライドだけは高い人間なのだ。
まあ私はそういう人間が好きだけどね、、(混乱)
私はSNSに向いていないんだろうと思う。
自分が何かを発信する»人にいいねやコメントをいただく
この構図に最近ちょっと抵抗を感じてしまう。
じゃあ辞めようよと言われたら、そうじゃないんだ、とも思う。
なんなんだ。人間は。
勢いだけで書いたので後から消す可能性充分ですが、一旦吐き出せてスッキリしました。うふふ