理由を探す癖がある〜♪

 

昔の自分のブログを読んだ。

高校生のころのブログ。

 

描いてあることは淡々とした日常だけど、高校生のころの自分には今よりもシンプルさと熱量があったような気がする。

好きな漫画の絵を描き、手芸にもはまっていて色々なものを作っていた。

 

最近の私は、何か行動をするのに「なんのためにやるか」ということを気にしすぎている気がする。

これはたぶん仕事のせいで、仕事=成果が求められるという思考が日常にも浸食している。「これをやる理由は?なんのために?何を得るために?」

これって特に大人には大事なことだし、これを意識するから色々なことを成し遂げられるのだろう。

 

ただ、私は絵を描くことが趣味でもあり仕事でもあるので、そこのバランスのとり方が難しくなってしまったようだ。

本来趣味としての楽しい創作は、何の意味もない。ただやりたいからするし、誰の役にも立たないが、のびのびできる。が、そこに「理由」「根拠」が浸食してくる。うーむ。

 

先日たまたまInstagramで見た海外のイラストレーターさんの投稿の一文に「これを描く価値があるのか、ないのか、と考えすぎる癖を手放したい」とあって、私も非常に共感した。

 

私に関して言えば、「描きたいものがあるのに描けない。」というより、「描きたいものすらわからないが、描きたい」みたいな状況だ。

 

なんだかなあ。

 

もうちょっと柔らかい心でいたいのだ。

仕事は仕事で理由を求めて、何のためにやるか考えてやりたいし、趣味は趣味でなんの役にも立たない自己満を追究したい。

 

いや、ほんとは趣味で楽しくのびのびと創作したものが人の役にたったり喜んでもらえたりしたらうれしい。でもそれを先に置いたら私は手が止まってしまう。矛盾っ

 

 

まあそんなわけで私は昔の直観を取り戻す練習をしています。

 

・昔好きだったものをもう一度やってみる(手芸とか、工作系)

・なんのためにとかではなく日常の適当な1コマを描いてみる。

SNSとの向き合い方を考える(いい意味で適当に扱いたい)

SNSや本を見て「これやりたい!」と思ったものをフォルダに保存して、簡単にできそうなものからやっていく

 

 

早速スケッチブックを買ったのさ。

かわいいでしょ

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このサイズ感が良くて(手のひらサイズ)、片手で持って描けるのが良い感じ。

 

 

目に入った日常のものを気楽に描いていく。

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今のところすごく楽しいので続けていこうと思う。